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[ カテゴリー >> 七福今昔写真 ]

カテゴリー 七福今昔写真September 29, 2010

新潟県北魚沼郡湯之谷村。 ID:1285708190

上越線の小出から湯之谷村に向かって走り、奥只見トンネルに入らないで、そのまま行くと一時間くらいで銀山湖に行きます。 (トンネルからも行けます)その途中の峠が枝折峠です。

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銀山湖は銀山温泉もあり、秘境の釣り宿・登山基地としてマニアに人気の山奥です。
冬は5〜6mの雪に埋もれる豪雪地の、銀山平(ぎんざんだいら)は、尾瀬への新潟県側からの玄関口としても知られています。

銀山温泉で、一番有名?な宿が伝之助小屋ですが、豪華な宿ではありません。山小屋+旅館みたいな感じです。
春の新緑・秋の紅葉は凄いと思います。
伝之助小屋のHPはこちらです。  興味がある方はHPをご覧になって下さい。


新潟県北魚沼郡湯之谷村は、私の父親の郷里です。

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— posted by 7fuku @ 06:09AM | LinkMe | top↑

カテゴリー 七福今昔写真August 18, 2010

店名の由来。 ID:1282076488

勿論「七福人」からです。先代から「縁起がいいから店の名前にした」と、聞いています。
でも、本当の理由は違います。

Masao  120


先代創業者の私の父は戦争で3回外地に行かされました。
外地では食料不足や病気などで、とても苦労したそうです。
身体中「南京虫」に刺されてボコボコになった時は、食べる物も抵抗力も無くなり、「もうだめだと思った」その時に「七福」という生薬に助けられたそうです。  
不思議と何にでも効いた薬だったと言っていました。

「七福」の店名はその時の生薬の名前も理由の一つです。 


外地で終戦を迎えた父の乗った引き揚げ船は、「隠岐の島」の手前で座礁してしまったので、泳いで「隠岐の島」まで渡れたのは、わずか数人だったと聞いています。

復員後は「白飯が腹いっぱい食いたい」と。東京・築地にある鰻の老舗「宮川」で修業した鰻職人の経験を生かし、飲食店を始めたのが「七福」です。七福の鰻はいわば「宮川」仕込みなのでございます。


 

— posted by 7fuku @ 05:21AM | LinkMe | top↑

カテゴリー 七福今昔写真June 03, 2006

お祭りの写真 続き… ID:1149307893

子供の頃から「看板娘」?でした。

kannbann

昔の看板には、うな丼 150円、柳川 70円と、ありますが焼き鳥の値段は分かりません。
15円??それとも10円位でしょうか。後ろに見える竹の籠は「うなぎ」を入る籠です。

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大の仲良し恵子チャンです、お隣の加賀美自動車の娘さんで同級生でした。
当時加賀美自動車には貸し自転車が置いてありましたので、よく利用していました。今は親・子・孫と三代で「七福」にお越し頂いています。七福の常連さんです。車の事ならなんでも加賀美自動車へどうぞ (笑う) 

mukasi  5


真ん中の赤ちゃんが私、となりは母です

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暖簾とちょうちんは今も当時と変わりません。



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子ども会で行った神奈川新聞の見学会の写真です。確か、前列右から3番目は伊藤さんの弟さん(旦那さんの弟)?だと思います。後ろに亡くなられた「魚作の大塚さん」が写っています。

tanabata

柳通り会で平塚に行った時の写真です。「センターグリルのおじさん」や「サンパウロのおじさん」が写っています。

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横浜の路面電車「市電」に乗って元町丘の上の女学校まで通っていました。

— posted by 7fuku @ 01:11PM | LinkMe | top↑